「それでも、言葉を」
- 公開日
- 2026/01/23
- 更新日
- 2026/01/23
学校の様子
1月23日(金)
3年生国語科の授業。現在、鷲田清一(わしだきよかず)さんの随筆「それでも、言葉を」の学習に入っています。
「言葉がまるで産毛(うぶげ)をなくしたかのように、むき出しで人にぶつかるようになった」
「受け取る側も、自分に向けられた言葉に反射的にメッセージを返してしまう。言葉をいったん飲み込んで、口ごもり、自分なりにその言葉と折り合いをつけようとする、そんなプロセスを経て言葉を繰り返すということがない」
「私たちは、言葉が音として届けば、あるいは文字として送られれば、言葉が伝わったかのような錯覚に陥りやすい」
「理解してほしいという気持ちが高じてくると、理解してもらえないときには、その反動で、『キレる』『ムカつく』といった荒々しい言葉が投げつけられる」
「言葉は単なるメッセージの媒体なのではない」
「私たちは語りの整合性や合理的根拠によってではなく、むしろその感触や肌理(きめ)、口調や声によって、相手が本当に言いたい何かに気付かされることが多い。言葉の背景にある体温や手応えに、どれだけ想像力を向けられるかなのだろう。それがないと、言葉の意味だけをむき出しのままぶつけ合うだけになる」
この作品は、「言葉」のもつ役割の重要性について深く問いかける内容であり、言葉との向き合い方について、筆者の見方・考え方を踏まえて、自分の意見をまとめていきます。