SCHOOL LIFE

平和の詩「おばあちゃんの歌」

公開日
2025/06/24
更新日
2025/06/24

学校の様子

6月24日(火)

昨日23日、沖縄は、太平洋戦争末期に国内最大の地上戦となった沖縄戦から80年の節目となる「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦が繰り広げられた沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が行われました。

追悼式では、豊見城市伊良波小学校6年の城間一歩輝さん(11)が、平和の詩「おばあちゃんの歌」を朗読しました。今年応募のあった937件から選ばれたものです。城間さんの祖母が一年に一度だけ、歌うという「おばあちゃんの歌」の意味を知ったときの思いがつづられ、心と体に大きな傷を抱え、「祖母のように苦しんでいる人がいることを伝えたかった」という思いが込められています。

全文を紹介します。

毎年、ぼくと弟は慰霊の日に 

おばあちゃんの家に行って 

仏壇に手を合わせウートートーをする

一年に一度だけおばあちゃんが歌う

「空しゅう警報聞こえてきたら 

今はぼくたち小さいから 

大人のことをよく聞いて

あわてないで さわがないで 落ち着いて 

入って いましょう 防空壕(ぼうくうごう)」

五歳の時に習ったのに 

八十年後の今でも覚えている

笑顔で歌っているから 

楽しい歌だと思っていた

ぼくは五歳の時に習った歌なんて覚えていない

ビデオの中のぼくはあんなに楽しそうに踊りながら歌っているのに

一年に一度だけ 

おばあちゃんが歌う

「うんじゅん わんにん 艦砲ぬ くぇーぬくさー」 

泣きながら歌っているから悲しい歌だと分かっていた

歌った後に 

「あの戦の時に死んでおけば良かった」 

と言うからぼくも泣きたくなった

沖縄戦の激しい艦砲射撃でケガをして生き残った人のことを

「艦砲射撃の食べ残し」 

と言うことを知って悲しくなった

おばあちゃんの家族は 

戦争が終わっていることも知らず 

防空壕に隠れていた

戦車に乗ったアメリカ兵に「デテコイ」と言われたが 

戦車でひき殺されると思い出て行けなかった

手榴弾を壕の中に投げられ 

おばあちゃんは左の太ももに大けがをした

うじがわいて何度も皮がはがれるから 

アメリカ軍の病院で 

けがをしていない右の太ももの皮をはいで 

皮ふ移植して何とか助かった

でも、大きな傷あとが残った 

傷のことを誰にも言えず 

先生に叱られても 

傷が見える体育着に着替えることが出来ず 

学生時代は苦しんでいた

五歳のおばあちゃんが防空壕で歌を歌い 

「艦砲射撃の食べ残し」と言われても 

生きてくれて本当にありがとうと伝えると

両手でぼくのほっぺをさわって 

「生き延びたくとぅ ぬちぬ ちるがたん」

生き延びたから 命がつながったんだね 

とおばあちゃんが言った

八十年前の戦争で 

おばあちゃんは心と体に大きな傷を負った 

その傷は何十年経っても消えない

人の命を奪い苦しめる戦争を二度と起こさないように 

おばあちゃんから聞いた戦争の話を伝え続けていく

おばあちゃんが繋いでくれた命を大切にして 

一生懸命生きていく

現在も、世界各地で戦争・紛争は続いています。